August 28, 2016

引越し1周年

1年前の8/29に引っ越したのでちょうど1周年。引越し当初は毎日家事だけで夜遅くなり、座る暇もなく疲れ果てて朦朧としていた。週末は洗濯するだけでも一仕事で、夜、ベランダに蝋燭を灯して干したこともあったが、最近はあらかじめ週末の天気をチェックして晴れ間に手早く洗濯するようになり、必須の家事(買い物・食事・洗濯・お風呂の後始末)には慣れてきた。毎日200g食べるヨーグルト、朝晩1/4ずつ食べるリンゴ、沢山飲む低脂肪乳とコーヒー用の普通の牛乳、お肉その他、生活必需品をいつどのお店で買えば一番安く買えるかも把握した。つまり毎日最低限のことはできるようになったのだが、片づけは相変わらず手がついておらず、家全体が自分の部屋になり、人が呼べない状態。独立2年目は片づけと整理整頓が課題。

一人暮らしはやることが多くてゆっくする時間が作れていないのも課題。先日妹に付き合ってもらって職場近くの区のスポーツセンターに登録し、1年ぶりに水泳もできたのだが、毎週通うと他のことをする時間が無くなってしまう。独立したら、電子ピアノを買って30年ぶりに再開したいと思っていたのだが、これもまだ。お茶を飲みながら読書する、といった優雅な生活からはほど遠い。毎日家事をするために生活しているような気がすることがある。これは実家暮らしでのんびりペースが身についてしまっているからで、ペースを早くしない限りのんびりできないのは逆説的だけど真実。

また、親から独立すると、初めてものを考えるようになる。これまで本当の意味で考えたり、自分だけで決めてこなかったので苦労している(迷うとすぐに親に相談していた)。自分が本当にしたいことは何か、これからどうするか、などを初めて考えるようになり、今さらながら焦っている。

一人暮らしは自律も課題。うるさく注意する親がいないと際限なくやりたいこと(インターネットで情報検索とか)をしてしまい、際限なく夜更かししてしまう。実家では週5回はやっていたお風呂前の運動を、今の方が通勤が楽にもかかわらず、サボってしまうようになり、人目が無いと自分がいかに堕落するのかがわかる(張り合いが無いせい?)。自分で自分の生活を律するのも課題。

実家では、広い空の雲や夕焼けを見たり、風を感じて自転車で走るだけでも幸せを感じていた。季節の移り変わりを感じるのが楽しみだった。今いる場所は人が多くてあまり自然が感じられず、気持ちが落ち着かない。そのような場所をどうやって見つけるのか、慣れてきたら自然に見つけられるのか、自分でもまだわからない。

とりあえず、今日は金沢みやげの「起上もなか」を食べてお祝い。餡はちょうど良い甘さ。試食しておいしかったので買った生姜味の「柴舟」や「玉柚餅子」など、金沢のお菓子は本当においしいものが多くて感心する。
160828

160828_2

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 30, 2016

パラジャーノフの映画と椅子

GW初日の昨日は、新宿のK'sシネマでパラジャーノフ監督の「アシク・ケリブ」と「火の馬」を見てきた。http://www.pan-dora.co.jp/?cat=5
10年ほど前に「火の馬」を見て感動し、もう一度見たいと思ったのがきっかけ。K'sシネマは新宿東南口から3分程のところにあり、84席と小さいが、席にゆとりがあって前に荷物もかけられるので快適。3本3000円という料金設定のせいか、当日3本目の「アシク・ケリブ」はほぼ満席(私も3本見る予定が、お寝坊なので2本になった)。
「アシク・ケリブ」はグルジア、「火の馬」はウクライナの山岳地方(カルパチア)が舞台。どちらも恋愛(ロミオとジュリエットのような反目し合う家族、かつ貧富の差がある家族に生まれたので障害のある恋愛)がテーマだが、その土地の暮らしや民族の歴史も重要な役割を果たしている。
その地方ならではの色彩や衣装や楽器、歴史を感じさせる家屋や物の中で話が進むので、見終わると、しばらくそこで暮らしたような、どっぷりと浸った感が残る。同じ恋愛でも「アシク・ケリブ」はハッピーエンドなおとぎ話、「火の馬」は人生のやるせなさを感じる悲劇。
見終わって、すぐ近くに大塚家具があったので立ち寄って、椅子を購入。年末に無印の座り机を買ったものの、まだ椅子は無い生活。必要な時に買えばいいやとゆっくり構えていたが、昨日出かける前に戸棚の高いところに置いた映画用食料(クリーム玄米ブラン)に届かなくて、納戸からわざわざ脚立を出すことになり、やっぱり椅子があったほうがいいな、と思ったのがきっかけ。
最初は踏み台兼用のものがあればと思ったが、折角なので座ってくつろげる方がいいなと座り比べた結果、アーム付きダイニングチェアになった。最初に買おうとした椅子の3.5倍の値段だが、多分一生使うことになりそうだし・・と奮発。
ダイニングチェアを1脚だけ買う人はあまりいないかもしれないけど、場所を取るのでとりあえず。引越しして初めての椅子!届くのが楽しみ(実家にいた時は、椅子が有り難いものなどとは思ったことも無かった)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 20, 2016

007 スペクター

水曜日にシャンテ・シネで「007 スペクター」の2回目を見てきました。1回目は年末の12月30日にTOHOシネマズ日本橋で見たのですが、この時は仕事のことなどでコンディションが悪く、落ち着いた気持ちで見れませんでした。2回目はストーリーがわかっているので細かいところや音楽もじっくり楽しめました。

ダニエル・クレイグのボンドは、前回の「スカイフォール」でミッドライフ・クライシスを乗り越えたせいか、スーツ姿にも落ち着きと自信が感じられ、強さの裏に誠実さと優しさがある007になっていて素敵でした。

Mのレイフ・ファインズは「ロレンス1918」で注目し、「イングリッシュ・ペイシェント」で惚れ、「嵐が丘」でさらに惚れたのですが、さすがシェイクスピア俳優出身のくっきりした美しいイギリス英語の響きに聞き惚れました。

ボンド・ガールのレア・セドゥは「アデル、ブルーは熱い色」で凛々しく透明感があっていいなと思いました。今回、ボンド・ガールとしては小柄で古典的な美女ではないものの、医師として自立した一人の女性としてボンドと対等に並ぶ姿に親近感を感じました。昔のボンドガールは男性から見た女性でしたが、最近は違っていますね。

そして「パフューム」のグルヌイユ役の演技で注目したベン・ウィンショーのQ君。今回はオタクな技術者として本領発揮するのはもちろん、オーストリアアルプスでアウトドアの活躍場面もあり。「僕には住宅ローンと猫2匹が・・」と、組織に逆らえない事情を打ち明けつつ(共感!)も、さりげなくボンドに協力していまう姿が可愛い。

たまたま3つの別の映画で私がいいな!と思った3人が今回揃って出ているのは偶然なのでしょうか?

若きブロフェルド(昔の007ではペルシャ猫を膝に載せた貫禄ある姿ですが)も可愛げと残酷さが裏腹なところ、人間の怖さを感じさせる説得力がありました。

これまでの007のオマージュ(怪力男との格闘や列車のシーン)を楽しんだり、世界各地の絶景や名所を背景にアクションが楽しめたり(今回はチュニジアの砂漠を走る列車を遠景で見せるシーンが一番美しかった)、緊迫したシーンでもユーモアとウィットに富んだ会話のやりとりを楽しめるのが007の醍醐味。

サム・メンデス監督の007 2作目は今回も「死」が通奏低音になっていて、冒頭の「死者の祭り」やテーマ音楽やMのダブルオーに対する思い入れのあるセリフにも直接表されていました。アクション映画で命の重さを語るのは逆説的にも見えますが、仮想世界でなく現実で生きよ、ということなのかも。メメント・モリは命や生きることの大切さの裏返しなのでしょう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 26, 2015

もうすぐ1ヶ月

引越ししてもうすぐ1ヶ月が経とうとしています。
今日は初めて休日の寝だめができてスッキリしました(・・といっても用事があったので8時間半だけですが)。
慣れない場所で緊張しているのか、疲れているのに早く目が覚めてしまい、毎日肩が凝ってしょうがなかったのですが、少しずつ家に馴染んでいるなあ・・とわれながら安心しました。

最初は照明のスイッチを間違えたり、茶碗を洗って置く場所にしても、鍋をしまう場所にしても、これまで無意識に体に染み付いてやっていたことを新たにプログラムしなおさなければならず、落ち着きませんでした。
一方で、最近の家は24時間換気がある...ので朝にはお風呂場がカラっと乾いているとか、いつでもゴミが出せるとか、良いこともあります。

住んでいる街は、以前の緑が多くて広々とした郊外から、狭い道と隙間無く家が並ぶ街に変わりました。
以前は駅を降りると肌に感じるひんやりした空気、草と木の香り、虫の声、足が覚えている道の石畳や凹凸、広い空にはひっそり光る月と明るい一番星がありましたが、今では電車の音、コンビニの明かり、飲み屋さんから聞こえる楽しそうなカラオケの声になりました。
馴染んでいたものが無くなったのは寂しいですが、食(買い物と料理)も住(掃除)も衣(洗濯)も、自分が動かないと何も進まないので、昔を懐かしんでいる暇もなく、会社から帰ると日々のことに追われていました。
それでもやはり、いつ何をするのも自由な生活は良いですね。まだテレビもラジカセも無く、シンプルライフを楽しんでいます。

しかし、先週の同窓会で、「アラシ」という音楽グループを知らないと言ったら、幼馴染のE本さんに「仙人」と驚かれました(日本人はみんな知っているような言い方でしたが、そうなんですか?)。パソコンぐらいは新調して、以前のようにfacebookでコミュニケーションできるようにしないと!(今は、コメントといいね!が見れない状態)
高い買い物だし一度買うとしばらく買い換えないので迷います。デスクトップにするか、ノートにするか、メーカーはどこにするか・・あ、まず「デスク」を買わなければ)。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

January 04, 2015

大晦日のホビット

あけましておめでとうございます。
仕事が片付かず、年明けの締切に間に合いそうにないので仕方なく30日まで出勤していました。昨日2日も出勤し、昨年に続き、年末年始らしくのんびりできないのが残念でした。
それでも気分転換は大切!と、31日は遊びの日にすることに決めていて、大晦日なのに片付けもせず、有楽町に「ホビット 決戦のゆくえ」を見に行きました。

ピカデリー1の大きなシアターのまん真ん中の席で、大晦日のせいか空いており、見に来ている人は好きそうな人ばかり。快適・贅沢な環境で楽しめました。
最後はビルボと一緒に長い旅から帰ってきたような、祭りの後の寂しさが残りましたが、今回も迫力ある戦闘シーンにハラハラしながら、知恵と勇気と友情って素晴らしい!と子供の頃のような気持ちになったり、芸達者な役者さんの演技を堪能したり、タウリエルとキーリの初々しさに感動したり、レゴラスの美しさに見とれたりと、大いに楽しみました。
ホビットは善悪(悪役と味方)がはっきり分かれているところがいつもやや違和感があるのですが、今回は、人の内面の欲望がテーマの一つだったことも面白かったです。

2Dでも十分という意見もあって考えたのですが、前回、スマウグ(ドラゴン)が金の山をサラサラ崩しながら迫ってくるシーンや大蜘蛛が襲ってくるシーンの怖さは3Dならではだったな~と思い出し、今回も3Dにしました。
結果は大正解。冒頭で、バルドが木造の櫓(鐘楼)に登って矢でスマウグを狙うシーン、一面火の海になった夜の町を背景に、ポツンと高く聳える櫓の高さ、心細さが3Dならではの臨場感で感じられたし、ニュージーランドの山と平原が背景の場面の奥行きと雄大さ、エルフの軍隊が一糸乱れず行動する場面、レゴラスとアゾクの戦いで足元の石が次々崩れて谷底に落ちていく場面なども、3Dが上手く使われており、リアルでドキドキハラハラしました。

ホビット3連作の最終回のせいか、話の展開には意外性が無く、結末に向かって収束していく感じでしたが、感動するシーン、名場面も多かったので、時間が取れれば是非もう一度、見に行きたいと思っています。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

April 17, 2011

金曜日は午後半休で気ままに・・

15日(金曜日)は午後半休を取ることにした。理由はまず、疲れていたこと(月曜日は帰宅間際の余震で電車が止まり、動き出してからも激混みで、各駅に停車しながら行くので時間がかかってしまった。水曜日はロシア語、木曜日は水泳でいつも遅い)、それから、土曜日に出かける予定なので早めに帰りたいと思ったこと(欲張りなので、結局できなかったが)、最後に、節電のため最近17時半に閉まって寄れない千代田区立図書館で、読み終わった本の下巻とビデオ(「ナージャの村」と「アレクセイと泉」)を借りたかったこと。心身が疲れると、午後半休を取って気分転換することにしている。

会社を13時過ぎに出て、まず半蔵門駅近くの本屋で、ちょっと立ち読み。時間を気にしないでいられることは幸せ。平積みになっているカズオ・イシグロの「夜想曲集」と「わたしを離さないで」をパラパラとナナメ読みして、文章の静かで客観的な感じに興味を持つ。著者は長崎出身で幼い頃にイギリスに移住したんだそう。今度読んでみよう。

本屋を出て、ふと今年は会社の近くの桜を見ていなかったことを思い出し、駅ではなく国立劇場の方に引き返す。毎年、満開の頃に会社帰りに寄るのが習慣になっていたが、今年は毎日帰りに予定があって時期を逃し、ソメイヨシノはもう散っていた。でも八重紅枝垂桜は満開で、小さな濃い桃色の花がびっしりと咲いている。カメラを持ってこなかったことを後悔した。他にも、小さな白い花が滝のように下がったユキヤナギ、鮮やかな山吹色のヤマブキも咲いている。ヤマブキには、脚に花粉を付けた蜜蜂が漂いながら時々花に頭を突っ込んでいて、なんとも平和な感じ。柔らかい繊細な花びらの一枚一枚を見ていると、こんなに美しい花が創られて、間もなく散ってしまうことに、自然の不思議さと気前の良さを感じる。

天気も良いので地下鉄には乗らず、図書館がある隣駅の九段下まで、お堀に沿って遊歩道を歩いて行くことにする。桜はほとんど散っていたが、池には花びらが一面に浮かんでいて風流。右に皇居、左に英国大使館を見ながら、散りかけの桜の下をゆっくり歩く。千鳥が淵に着くと、お堀の一角に花びらが吹き寄せられていて、外国人のカップルが写真を撮っている。遊歩道の桜の根元には薄紫色のシャガが沢山咲いていて、風に揺れながら木漏れ日を浴びている。昼下がりに急ぐ予定も無くのんびりできることの幸せをしみじみ感じる。

九段下駅に着くと、昭和館が目に付いた。普段は17時に閉まるので行けないのだが、企画展「ポスターに見る戦中・戦後」のポスターを見て、無料なので寄ってみることにした。展示は思いの外面白かった。ロシアのプロパガンダポスターみたいな斬新なデザインや、昔の絵本や雑誌の表紙みたいな美男美女の絵もある。当時の有名な画家やイラストレーターが関わっていたそうだ。「日本中のヨイコドモガ毎日一銭ヅツ貯蓄スレバ一年四百余り機ノセントウ機ガツクレマス」、「お国の為めに金を政府に売りませう」、「国の子宝保険で護れ(徴兵保険)」 etc. へええ、こんなことがあったのか!と勉強になる。別の階に図書館もあり、高校生時代に愛読した「のらくろ」や「ゲゲゲの鬼太郎」、その他にも興味を引かれる本や絵本がある。今日はもう時間が無いので(次の目的地、図書館が閉まってしまうので)、少しだけ座って「墓場鬼太郎」を読み、鬼太郎誕生のいきさつや両親のことを知る。

昭和館から徒歩3分の千代田区立図書館は、千代田区役所の9階にある。いつもは夜まで開いており、職場が千代田区なので利用しているが、地震の後は節電のため17時半に閉まるのでなかなか寄れなかった。長らく借りていたバルザック「幻滅」の上巻を返して下巻を借り、書架を回って面白そうな本を立ち読みし、10階にある千代田区男女共同参画センターMIW(ミュウ)へ。借りたかったビデオ2巻はここにある。ここでも少し雑誌を読み、1階に降りてパン屋さんで厚切りのフレンチトーストと野菜ジュースを買って休憩。広いロビーにはテーブルと椅子があって、自由に休めるので便利。でも今日は17:30に閉まってしまうので、次の目的地、高田馬場のケッズ(鍼灸接骨院)に向かう。

ケッズでは地震の後、節電のため岩盤浴が閉鎖しており、今日は復活後初めて。冷え性で血の巡りが悪く、目の疲れから来る肩こりもひどいので、岩盤浴無しのマッサージだといま一つほぐれなかった。岩盤浴はいつもの1時間コース。岩に吸い寄せられるように寝そべると、30分位寝入ってしまう。マッサージはベテランのTさんに当たってラッキー。この仕事が大好きで、熱心で上手な人。以前肩こりがひどい時は鍼でもお世話になっていた。なんと、彼女は自分の店を持って独立することになり、ケッズは今日・私で最後だそう。彼女にとってはおめでたいことだが私にとってはちょっと残念。彼女の店は遠くて頻繁には行けそうにないので。でも、今日彼女に会えて良かった。

マッサージの後は、向かいのすき家で牛丼ミニ(200円)+キムチトッピング(80円)。高田馬場店は具が多くて良心的。お味噌汁にもわかめと油揚げがたっぷり入っている。今日は牛丼が一律30円引きでお得だった。その前にあるミスタードーナツも100円均一だったので寄る(太るので、100円均一の日だけ買ってもいいことにしている)。4個(ストロベリーリング、チョコファッション、ポン・デ・黒糖、エンゼルクリーム)買って帰る。もちろん当日全部食べるのではなく、1個だけ食べて、残りは冷凍して週末にゆっくり食べる予定。

明日に備えて早く帰るつもりが、いろいろ欲張って、結局いつもの時間(22時過ぎ)になってしまった。

| | Comments (7)

November 21, 2010

一周忌・誕生日

今日(11月20日)はアーニーちゃんの一周忌。そしてレオちゃん(次に飼っているうさぎ)の1歳の誕生日。
いつもの土曜日と同じように、12時間ぐらいたっぷり寝て、トーストとコーヒーのブランチ。正教会で買った細長い黄色の蝋燭を灯し、薔薇の香りのお線香を焚く。

この1年は喪中だったせいか、静かに過ぎていった。
アーニーちゃんのことを思い出すと、自分の6年半が蘇る。最初の年(アーニーちゃん0歳)は、最後にロシアに行った年で、荒川マラソンに参加した。それから、うさぎ屋さんに預けてカナダやイギリスやイランに旅行したけれど、旅行中は心配で、時々アーニーちゃんが夢に出てきた。会社で悩んでも、スポーツクラブで夜遅くなっても、いつも家に帰るとアーニーちゃんがいた。
この1年、思い出すと悲しくなるのであまり考えないようにしていたが、11月に入ってからは、開き直っておもいきり想い出にふけっていた。そうしたら、かえって楽しいことも沢山思い出して良かった。

母から呼ばれてマンションのベランダから見下ろすと、紅葉・黄葉がきれい。
夕方、自転車で買い物・図書館に行ったら、雲間から月が煌々と照っていて、餅つきウサギの影が映っていた。後で調べたら今日はたまたま十五夜だった!
日が暮れるとあちこちのマンションの入り口で、クリスマスイルミネーションが点滅している。都心のおしゃれなイルミネーションと比べるととても素朴だけど、もうすぐ1年が終わるのだなあ・・と感じる。

レオちゃんは、アーニーちゃんとは全く別の存在だった。頭ではわかっていても、レオちゃんに悪いと思いつつも、最初はどうしても比べてしまっていた。アーニーちゃんだったら○○していたのに・・。
レオちゃんは、アーニーちゃんがいない寂しさを埋めてくれる存在では無かった。最近は、レオちゃんはレオちゃんとして可愛いと思えるようになった。構いすぎたり、ペレットやおやつをあげすぎないのが幸いして、干草をバリバリ沢山食べるので、大きな糞をして、お腹が丈夫で心配をかけない。いまだにトイレを覚えないのは困りものだけど。

レオちゃんはアーニーちゃんのように、いつも心配で気にかけているような存在ではない。でも、それはそれでいいと思っている。干渉しすぎるのがうさぎにとって幸せとは限らないから。アーニーちゃんは一目ぼれして出会った最初のうさぎだったので、とにかく可愛くて、撫でながら、こんな幸せは夢ではないかと思っていた。いつも気になって、構いすぎていた。ヨーグルトやりんごを食べる時は、お裾分けで食べさせるのが習慣になっていて、スプーンのカチャカチャいう音を聞いただけでも飛んできていた。そのせいか、牧草をあまり食べなくて、しょっちゅうお腹を壊して心配した。ちょっとでも食べないと心配で、ついペレットをあげすぎたりもした。
レオちゃんは、構わなくても自分で牧草をボリボリ食べている。アーニーちゃんの時は、新米飼い主で悪かったなあと思う。

| | Comments (3)

November 29, 2009

さよならアーニーちゃん

アーニーちゃんがこの世を去ってから9日が過ぎた。11月20日(金)の11時過ぎ、母から会社に電話があり、息をしていないようだと言った。覚悟はできていたが、やっぱり間に合わなかったと思った。2日前からほとんど食べなくなっていて、抱くとお尻の骨がゴツゴツ当たって、痩せていくのがわかったが、どうすることもできなかった。水曜日に病院で水の注射をしてもらっていたが、うさぎは点滴による栄養補給ができない。1週間前から食欲が落ちて、1時間以上抱っこして食べさせようとしても、少し食べると眠りに落ちてしまう。「がんばれ、がんばれ」と声をかけると少しだけもぐもぐしてくれることもあったが、私が一緒にいたいがために無理を言っている気もして、「がんばらなくてもいいよ」とも言った。矛盾した気持ちだった。

金曜日の朝はぐったりしていたので、いつもの圧迫排尿と餌を食べさせるのは諦めて、ただ抱っこしていた。息も少し苦しそうだったのでできればずっと抱いていたかったが、その日は出なければならない説明会と提出しなければならないものがあった。午後半休は取るつもりだったが、それまで待ってくれないかもしれないという予感もあった。どうして前の日に誰かに頼まなかったんだろう、と後悔したが、頼める人もいなかったし、もう間に合わない。会社に行かなければならない時間まで、アーニーを抱っこしながら泣いているしかなかった。

帰宅すると、アーニーは目を半分開けて、とても穏やかな顔をして横たわっていた。もう息をしておらず、心臓も止まっているのに、生きている時と全く同じ表情をしていた。最期の瞬間に誰もついていてあげられなかったことがかわいそうで、後悔してもしきれない気持ちだったが、ただ一つ救いになったのは、10時頃にさいとうラビットクリニックに電話で相談した時の斉藤先生の言葉だった。
これ以上できることはないのか、午後から水分の注射をしてもらいに病院に連れて行った方が良いかと尋ねた時、先生は、「獣医としてではなく自分のうさぎだと思って話すわね。私だったら行かない。途中で亡くなる可能性もある。自分が好きな部屋の匂いを嗅ぎながら亡くなる方がいい。」と答えて下さったのだった。
それから1時間後、アーニーは6年5ヶ月住み慣れた場所にある小屋の中で、眠るように亡くなっていった。最期が安らかで、苦しみが無かったことを願っている。

10月21日に私が中欧旅行から帰国した日に退院して家に戻り、ちょうど1ヶ月で旅立っていったアーニー。この1ヶ月、私は必死にアーニーの命を繋ぎ止めようとしていて、体は寝不足でクタクタ、気が張り詰めていて、ちょっと異常な状態だったかもしれないが、思い返すととても幸せな毎日だった。アーニーは一緒にいたいと願う私の気持ちに応えてくれたのかもしれない。毎朝、6時過ぎに起きて、おはよう!と小屋をのぞくと、頭を持ち上げて前足を動かして答えてくれたアーニー。いてくれてどんなに嬉しかったことか。かけがえのない、大切なうさぎだったアーニー。

退院した日はほとんど反応が無く、ぐったり横たわっていたのに、次の日からどんどん元気になっていった。朝は甘いシロップの薬を喜んで飲み、圧迫排尿でおしっこの出具合や様子に一喜一憂。朝日を浴びながらご飯(シリンジでの強制給餌)を食べさせて、小屋に寝かせて出社。午後は母に給餌をお願いして、定時で帰り、夜は薬、排尿、ご飯を食べて、おやすみなさいをした、比較的安定した毎日は、大変でも張り合いがあった。しかし2週間を過ぎた頃から、また退院した時のように白い鼻水が出たり、尿が出にくくなったり、食欲が落ちてきて、時間をかけて給餌をしても食べてくれなくなり、精神的にも体力的にも大変だった。

でも一番大変で頑張っていたのはアーニーだった。2週間後から、寝ていても前足でしきりに掻くようなしぐさをしたり、声をかけると鳴き声で訴えることがあったり、どこか痛いのか歯軋りをしたり、抱っこをするとそのまま眠りに落ちたりしていた。食欲が落ちたので11月13日にさいとうラビットに連れて行った時は、先生に、危ないかもしれないね、と言われたが、私はそんなはずはないと思っていた(今から考えると愚かなのだが、必死で何も考えていなかった)。太い水の注射をしてもらって次の日は少し持ち直してホッとしたものだが、食べる量はどんどん少なくなり、次第に体温調節ができなくなり、退院した時のようにゆたぽんで保温を始めた。

アーニーがいなくなって、家はとても寂しくなった。いつもの癖でつい小屋に目が行き、いないことに気づく。いつも声をかけていたのに、応えるものが無い。会社に行く時は「行ってくるね」の挨拶、帰宅すると、まず手を洗ってから「ただいま~」とナデナデ。寝る時はおやすみの挨拶。パソコンに向かう時は「ちょっと待っててね」と声をかけたり、何かと話しかける癖がついていた。元気な時は、私がリンゴやヨーグルトを食べる時に少しだけ分けてあげるのが習慣で、部屋に放している時はスプーンの音がするだけでも気配ですっとんできて、膝の上にピョンと乗ってきた。食べることが大好きだったアーニー。今は、何を食べても「ああ一人で食べるんだな」と思う。外出している時も、家に帰ると会えることを楽しみにしていたのに、今は帰る楽しみが無くなってしまった。

私のこれまでの時間はアーニーが生きていた時といなくなってからの二つに分かれてしまった。生きていた時の方に戻れるものなら!! 春にアーニーの足が不自由になった頃から、一緒にいられるのは限られた時間と思うようになり、時間を大切にしていたつもりだったが、それでもこんなに早く別れが来ると分かっていたら、もっと沢山ナデナデしたり、抱っこしたりしていたのにと思うと、とても残念だ。

アーニーは生後3ヶ月の時にうさぎ屋さんの店先で偶然出会った。小さくて、黒くて目の周りが白いのがとても可愛かった。真昼間から、しきりに前足で穴掘りの真似をしている姿に一目惚れした。その3ヶ月後に幸いまだ売れていなかったので連れて帰ったのだが、シャイで食べるのが大好きで頑固なところがなんとなく私と似ていて、通じるところがあった。

哺乳類を飼うのは初めてだったが、パソコンや機械とは全く違う、生き物は複雑で繊細で高級なものだということを教えてくれた。最初の頃は、毎日会社から帰って生きているかどうか心配だった。それから6年半、いたずらうさぎがだんだん賢くなってきて、言葉を超えて通じ合えることも増え、いつのまにか大きな存在になっていた。一緒にいると、「いてくれてありがとう!」という言葉が自然に湧いてきたものだ。欲深で、「感謝する」ということが滅多に無かった私なのに。

私の一番大切な宝物のアーニー。死後の世界はわからないけど、きっといつかまた会おうね!

| | Comments (12)

October 31, 2009

寝たきりになったアーニーちゃん

Img_9116
うさぎのアーニーちゃんは今度の12月25日で7歳になる。動物病院ではお年寄りと言われる年齢になり、昨年秋から急にいろいろな変化が起きてきた。まず秋頃から腹ばい(ペッタンコ)になることがなくなり、背を丸めてじっとしていることが多くなった。いつも前足に体重がかかっているので足が弓形に反ってしまうし、疲れないかと心配で、たまに無理やり腹ばいにさせてみたりしたが、嫌がってすぐに元の背を丸める姿勢に戻ってしまっていた。

アーニーちゃんは元々牧草をあまり食べない方で、軟便で具合が悪くなってしまうので、秋からペレットの量を減らしてみたら、牧草を食べるようになり糞の状態が良くなった。それは良かったのだが、この頃から徐々に体重が減ってきていた。

春頃からはトイレ以外でおしっこをするようになり、足腰が弱ってふらつくようになった。ついに足をひきずるようになったので、7/31に病院(さいとうラビットクリニック)に連れて行ったところ、神経性の麻痺と思われ、原因は不明(複数の可能性があり特定が難しいそう)。また、このように徐々に進んだ場合、年齢のこともあり、治る可能性はほとんど無いと言われた。

その頃は、足の半麻痺状態よりも、木のスノコの上で座ったままおしっこをするので足や内股がびしょびしょに濡れて皮膚炎になりがちなことが日々の悩みだった。スノコの上にペットシーツを敷いてみても、その上にじっと座り込んでいるので、会社から帰宅するとやはりびしょびしょになってしまう。ペットシーツを足濡れしないという厚手のものに変えてみたが、あまり効果は無い。一体どうすれば良いのかと悩み、インターネットで調べ、うさ飼い歴の長い友人にも相談した結果、足に良いと思ってずっと使っていた木のスノコを諦め、9/5に金網床の新しいケージに引越しすることにした。足を痛めないように、プラスチックのフロアマットを2種類買ってみて、気に入った方(ジェックスの「うさぎの健康フロアマット」が○。サンコーの「休足マット」は小型のうさぎには凸凹が大きすぎるようでダメだった)を敷いた。金網床にした結果、おしっこが下に落ちるので木のスノコよりは足が濡れなくなって、良かったと思っていたら、しばらくすると足を開かずに足の上におしっこをするようになり、やはり濡れてしまうようになった。

病院には定期的に通っていたが、半麻痺のうさぎは腎臓障害を起こしやすいので、最低1日1回、圧迫排尿で膀胱を空にすると良いと言われていた。お風呂場で膝の上に仰向けだっこして、下腹をさすったり押したりして、おしっこを出してからおやすみなさいの毎日だった。

8/21の2回目の通院では、750gと痩せていたたため(昨年秋は1200g)、まず体重を増やす必要があると言われた。そこでペレットの量を増やしたら、元々苦手だった牧草に全く口をつけなくなった。そうなるとお腹が弱いせいでまた軟便になり、ジレンマで頭を悩ませた。インターネットで調べておいしそうな牧草を取り寄せてみたが、どれもダメ。ウーリーの「ペレット牧草」という、牧草とアップルファイバーを固めて焼いたものを食べてくれた時には心底ホッとした。便もその日から大きく健康なものになった。

仕事の方は4月から9月始めまでずっと立て込んでいて、10月にやっと旅行に行けるぞ、と中欧のツアーに申し込んだものの、アーニーちゃんが心配で、本当に行けるのだろうかと、準備に手がついていなかった。そうしたら出発の3日前に突然立てなくなった。三日月形に横になって寝ころんでいる。うさぎは食べないと命に関わる(腸を空にすると状態が悪くなる)ので、頻繁に支えて起こしてペレットを食べさせ、水を飲ませなければならない。入院できる病院ということで、金町アニマルクリニックに預けることにした(こんな状態で旅行に行って良いのかと悩んだが)。

旅行中、病院に電話してみると、今朝から急に具合が悪くなったと言う。心配でこちらも具合が悪くなる。また次の日電話をかけると、持ち直して元気に食べているというので、少し安心した。

10/21(水)に帰国し、帰宅直後に病院に電話したところ、状態が悪いのですぐに来て欲しいという。休む暇無く午後の受付開始時間にかけつけると、黙って横たわっている。強制給餌も今日はほとんど食べないとのこと。見るからに元気が無く、目は凍った湖のように動かない。血液検査では腎臓の値も悪く、今日の内に亡くなる可能性もあると言われ、連れて帰っても大丈夫なのか、病院に置いていた方がいいのかと、しばらく悩んでいた。ぐったりしている姿を見て、自宅でちゃんと強制給餌や看護ができるか自信が無かったのだ。獣医の先生は、家の方が良いと言う。結局連れて帰ることを決心し、獣医さんと介護士さんに強制給餌の作り方(ミキサーで生野菜のジュースを作り、水でふやかしたペレット、ビオファイバー、ビタミンと混ぜ合わせる)と与え方(注射器の針の無い「シリンジ」で前歯の横の隙間から入れる)を教わって、アーニーちゃんと帰宅した。

帰宅してキャリーバッグを開けて触ると、体全体が冷たくてお腹が硬い。また10秒に一度ぐらい、しゃっくりのように大きく口を開けて喘いでいる。苦しそうで、どうしたらいいのかわからないまま、ずっと抱っこしていた。その晩は、自分自身、疲れ果てて目が閉じてしまいそうだったが、心配で長く眠ることができなかった。流動食は少しだけ食べた。体温調節ができなくなっていると言われたので、「ゆたぽん」(電子レンジで温めると7時間保温できる、便利な湯たんぽ)をフリースにくるみ、横に置いて、タオルの布団をかけて寝せた。

次の日(10/22)は急遽会社を休み、一日、様子を見たり、声をかけたり、強制給餌をしたりしながら介護のペースをつかんだ。口を開けて喘ぐのは収まってきていたが、しきりに歯軋りをしてどこか痛いようだった。

10/23からはいつも通り出勤。朝は1時間早く起きて圧迫排尿、排泄物の処理、強制給餌。責任が取れない、できない、と言う母に無理やり方法を教えて頼み込み、午後の強制給餌をお願いした。うさぎは12時間以上胃腸を空けると危険で、できれば定期的に給餌した方が良いと言われるからだ。その時は、会社に行かなければ生きていけず、ウサギ一匹世話できない自分が悲しかった(母には当たり前だと言われるが、インターネットで見ると、ウサギの介護について書いている人は主婦が多く、手厚く世話ができているようなので・・)。定時で急いで帰宅し、様子を見て23時頃に最後の強制給餌。旅行から帰ってからは睡眠を充分に取れないので風邪を引いてしまったが、命に関わるわけではないので後回し。

それから毎日、朝は今までより1時間早く起きるので、寝不足でヘトヘトという毎日が続いたが、強制給餌の食いつきが悪い時、気分転換にとアーニーちゃんを抱っこしてベランダに出て朝日を浴び、美しい鳥の囀りを聞いていると、早起きも気持ちがいいものだと思った。オレンジ色の光がアーニーちゃんの顔の毛の一本一本にからんで陰影をつけている。いつも蛍光灯の下でしか見たことがなかったので新鮮だった。

それから数日経ち、餌の食いつきが良くなり、尿も濁ってきて(透明な尿は腎臓の状態が悪い印だそう)、表情がイキイキしてきた。タオルの布団から出した前足をペロペロして、顔を洗うしぐさをしているのを見ると、久しぶりにホッとした。ゆたんぽの保温も必要無くなった。さいとうラビットクリニックでもらった2種類のシロップ(腸の動きを良くするプリンペランと食欲増進のペリアクチン)は朝晩続けている。甘いものが大好きなので、小さなスプーンに入れて近づけるとゴクゴク飲んでくれるので水薬は楽。

今のところ、会社帰りのロシア語と水泳は中止して、毎日定時ダッシュで帰宅(今、仕事にゆとりがあって良かった!)。土日も出かけることができない。まだまだ糞が小さいし、調子も良かったり、まあまあだったり。何より体重が増えていない(現在650g)ので油断はできない。しっかり食べさせなければ。

旅行前日、アーニーちゃんを病院に預けた後に空のウサギ小屋の掃除をしながら、ここに戻ってきてくれるのだろうかと少しドキドキしていた。今、寝たきりとはいえ、小屋の中にいるアーニーちゃんを見ると、とても嬉しい。寝たきりでも毎日元気でいて欲しい。

| | Comments (10) | TrackBack (0)

July 06, 2009

プレトニョフとロシア・ナショナル管弦楽団来日(ロシア音楽編)

土曜日は、ずっと楽しみにしていたプレトニョフとロシア・ナショナル管弦楽団(RNO)のコンサートを聴きに行った。サントリーホールで、席は舞台後ろのご対面席。1列目なので、オーケストラの団員と一緒になった気分で指揮を見ることができる(各パートに指示する時、目が合うような気がして余計な緊張をしてしまうことも・・)。
曲は、リムスキー・コルサコフの歌劇「雪娘」組曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲と交響曲6番「悲愴」というロシアもの3曲。最近はベートーヴェンやロシア以外の作曲家の音楽にも力を入れている彼だけど、チャイコフスキーとなると、やっぱり期待が高まってしまう。先週はボリショイ・オペラの「スペードの女王」でドラマチックで歯切れの良い、素晴らしい演奏を聴かせてくれた後なので、なおさらだ。

ヴァイオリン協奏曲の独奏は川久保賜紀。物語るような、抑えた精神性のある演奏。プレトニョフが指揮するオーケストラは、独奏にぴったりと寄り添い、時に歌い上げ、競い合う。まさに協奏曲という言葉通りの、オーケストラとソロが完全に溶け合った、繊細そのものの演奏に聞き惚れた。

最後の6番も素晴らしかった。プレトニョフの演奏はいつもそうなのだけど、今回も、CDやコンサートで聴いた彼のどの演奏とも違っていた。音楽がその場の雰囲気や勢いに流されたり、なんとなく、という音は一つもない。指揮をする表情は真剣そのものだけど、固い、ということではなく、指の先から自然と音楽が流れる感じ。普通の演奏とはタイミングや間の取り方が違うところがあるのだが、音楽としては自然で説得力がある。最後は胸を締め付けるような絶望(отчаяниеというロシア語が頭に浮かんできた)、それはこれまで聴いたことがないような演奏だった。どうしてそんな気持ちにさせられるのか、とても不思議だ。20年前に、ピアノ演奏で同じような体験をして、突然ロシア語を勉強したくなったことを思い出す。

それにしても、彼がピアノで表現したいことをオーケストラでやるのは大変だろう。ピアノの音では飽き足らなくて、オーケストラの音を使って自分の中のアイディアを形にしようとしているのだろうが、オーケストラは大集団だから、必ずしも期待に応えられるとは限らないだろう。それでも彼は無難な道は歩まない。それは表現したいものがあるから。いつもうまくいくとは限らないだろうけど、そんなことよりも大切なことがあるのだろう。

前に楽屋におじゃました時、彼は日本語で「オンガクハスキデスカ?」と話しかけてきた。その時は、なんてシンプルなことを聞くのだろうと思ったが、時がたつにつれて、深い言葉だと思うようになった。プレトニョフの演奏は、単に構成やアイディアが素晴らしいだけでなく、チャイコフスキーや音楽が好きで、心から尊敬していることが伝わってくる。どんなに新奇で普通とは違う演奏でも、その底に音楽が好き、というベースがあることわかる。だから彼の演奏は目が離せない。いつも新しくて、いつも生きている。その場を共有できることが貴重で、とてもありがたく思う。

コンサートの後は、母との予定で新宿の岸田劉生展に急いだが、気持ちはすっかりロシアになっていて、夕食は駅ビルのマトリョーシカ(ロシア料理)にした。(ビーツではないけど)トマト味のボルシチと、チーズたっぷりのつぼ焼き、木苺のタルトがおいしかった。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

«ジャン=ジャック・アノーの「トゥー・ブラザーズ」